デカルト様、どうかお教え下さい…<その1>~17世紀・オランダ亡命中、エリーザベト王女の手紙より~

「人間の精神は、いかにして身体の精気が意志的な運動をするよう決定しうるのか、どうかお教え下さい。」
 この手紙を書いたエリーザベト王女は当時24歳、哲学者デカルトは47歳でした。この手紙以来、数年間に二人の間では何十通もの手紙が交わされました。1649年12月4日の王女からデカルトへの手紙が最後です。デカルトはその翌年2月に亡くなっています。残っている手紙は60通ですが、王女は時々自分の手紙を破棄するように書いているので、実際はもっと多くの手紙が交わされたのではないかと考えられます。
 上記の王女の質問は、簡単にいうと「人間の心は、なぜからだを動かすことができるのですか。」という質問です。デカルトは心身二元論(心とからだは別のもの)の元祖といえる哲学者です。心身二元論の元祖デカルトはこの質問にどのように答えたのでしょうか。
 その前に、エリーザベト王女とその時代状況を簡単に紹介しましょう。

  エリーザベト王女とその家系

 エリーザベト王女は1618年12月26日、ドイツのファルツ選帝侯の王女として、ハイデルベルクで生まれました。エリーザベトの名前は、高校の世界史の教科書には出てきませんが、彼女の家系には、教科書に出てくる人が多くいます。王女の父は、オランダ独立の指導者であるオラニエ公ウィレムの孫、母はイギリス国王ジェームズ1世の娘です。ピューリタン革命で処刑されたチャールズ1世は王女の叔父にあたります。妹の子どもが、イギリスのハノーヴァー朝初代のジョージ1世で、今のイギリス女王エリザベス2世はその直系の子孫になります。
 王女の両親の結婚は、旧教(カトリック)国に対抗して、新教(プロテスタント)国が結束を固めるという意味がありました。当時、両宗派は厳しく対立していたので、この結婚は新教徒たちに大歓迎されました。中世末期、ヨーロッパでは、まだ宗教(宗派)上の対立が政治上の根本的な問題だった時代です。 

 エリーザベト王女とドイツ三十年戦争

 エリーザベト王女の生まれた1618年は、ドイツ三十年戦争という宗教戦争が始まった年です。彼女の人生はこのドイツ三十年戦争に翻弄されていくことになります。ドイツでは、その約百年前頃からルターの宗教改革が始まっていました。この戦争の背景は、旧教徒(カトリック)と新教徒(プロテスタント)の対立です。
 戦争はボヘミア(現在のチェコ)から起こりました。きっかけは、新教徒住民が旧教徒派の王に対して起こした反乱でした。旧教徒派の王に対抗して、ボヘミアの新教徒たちはエリーザベト王女の父をボヘミア王に擁立しました。1619年、1歳に満たない王女も、父とともにプラハに入ったのです。
 その後、戦争は諸外国がさまざまな思惑のもとに介入して、単なる宗教戦争とはいえない状況になります。戦争末期には旧教(カトリック)のフランスが、同じ旧教のオーストリアに対抗するために新教(プロテスタント)側で参戦します。戦争は、宗教的な対立から国家間の利害をめぐる力の対立へと変化していくのです。時代が中世から近代へと変わっていく時期の戦争だったのです。(明日に続く)

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